組合概要

五反田商店街について 

● 組合の役割、目的

本組合は、組合員の相互扶助の精神に基づき、組合員のために必要な協同事業を行うとともに、地区内の環境改善を図るための事業を行うことにより、組合員の事業の健全な発展に寄与し、あわせて公共の福祉の増進に資することを目的とする。(定款 第一章 第一条)
 

● 現在の活動(委員会の種類、定期会議、イベント)

4つの委員会から成る

 ◎総務委員会
 ◎事業委員会
 ◎環境整備委員会
 ◎教育情報委員会
 

定期会議 定時総会/年一回  
定例理事会/月一回

 

イベント

 ◎クリーン五反田(清掃活動)毎月第2土曜日
 ◎新年賀詞交歓会 ◎納涼会 ◎研修旅行
 ◎目黒川沿いの桜まつり
 ◎五反田肉祭り
 ◎その他、時期に合わせて各種イベントを実施
 

●入会について

商店街に入会していただければ、品川区区内で使える「プレミアム商品券」が使える店に登録できます。
五反田商店街 事務局までご連絡ください。 電話:03-3492-2201


組合概要

■名 称

五反田商店街振興組合

■所在地 〒141-0031

東京都品川区西五反田1-32-2

■電話番号

03-3492-2201

■FAX番号

03-3492-8083

■代表者

理事長 松澤 伸光

■設立年月日

昭和40年10月25日

■業務内容

・組合員のためにする共同売り出しに関する共同購買

・組合員及びその従業員の福利厚生に関する事業

・組合員の事業に関する経営及び技術の改善向上又は組合事業に関する知識の普及を図るための教育及び情報の提供に関する事業 

・組合員の事業に係る休日、開店又は閉店の時刻等に関する指導

・組合員の従業員の賃金、労働時間、宿舎等の労働条件の改善に関する事業

・組合員の事業の発展に資するためにする組合の地区内の土地の合理的利用に関する計画の設定およびその実施についての組合員に対する助言

・全各号の事業に付帯する事業

組合の歴史

組合設立当初 

昭和22年3月15日、荏原区と品川区が合併し、品川区が誕生しました。

空襲で大半が焦土と化した品川区は、焼け跡にバラックが建ち、五反田でも闇市が賑わいをみせていました。品川区は道路の修復や目黒川の橋の修復など、戦災で荒れた基盤整備を進めました。

 
昭和35年、人口40万人を突破した品川区では、皇太子妃が品川出身だったことから、祝賀気分に沸きました。 「いざなぎ景気」が始まり、日本の人口が一億人を突破しました。この頃の商店街には、物飯店や飲食店が所狭しと軒を連ね、近隣の町からも五反田東映劇場で封切り映画を見た後食事を楽しむ娯楽の街となり、商店の取りまとめ役として、組合が必要とされていたことから、昭和40年10月25日に五反田商店街振興組合が設立されました。昭和42年、五反田文化会館が現在の建物になり、五反田商店街振興組合の事務所は3階に入りました。
 
昭和40年後半は、沖縄返還が実現し、日中国交正常化や札幌冬季オリンピック開催など、日本が国際社会に影響を与えた時期でした。三億円事件や米宇宙船アポロ11号月面着陸など大きな事件が世間を賑わせるなか、品川区では公共設備が拡充してゆきます。旧目黒川の埋め立て工事が完了し、品川区総合庁舎が落成し、都営浅草線も全線開通しました。45年には星製薬の跡地に、TOCが完成し、五反田の景観が大きく変わりました。
 
五反田文化会館の向かい(現日本生命五反田ビル)は広場になっており、夏祭りの盆踊り会場でした。やぐらが建ち東京音頭が流れ、たくさんの人が集まっていました。

昭和50年代〜60年代

戦後生まれが総人口の半数を超えたこのころから、ライフスタイルの多様性が進み、校内暴力や家庭内暴力が増えてきます。ロッキード事件や日本赤軍日航機ハイジャック事件、青酸コーラ事件・毒入りチョコ事件に国内が揺れました。

五反田商店街振興組合では、現ゆうぽうと通りを歩行者天国にして様々なイベントが行われました。商店の若手たちが連日連夜集まり、準備に勤しんでいました。

 
昭和57年、東北・上越新幹線が開通、翌年東京ディズニーランドが開業し、人々がレジャーを楽しむようになったころ、西五反田にゆうぼうと(東京簡易保険会館)が開館し、1800席を超える大ホールはコンサート・バレエ・歌謡ショーなどの催しに利用され、品川の文化の拠点となりました。62年には大崎ニューシティが誕生すると、品川の景観も大きく変わってきました。

平成

中国・天安門事件、ベルリンの壁崩壊、湾岸戦争勃発など世界に激震が走る中、日本では為替相場の急激な円高とそれに続く地価高騰で、バブル景気に湧いていました。昭和64年1月、世は平成に代わり、4月には消費税が導入されました。パソコンが普及し始め、マルチメディア時代が到来しました。

平成元年、台風12号で目黒川が氾濫し、653戸が浸水しました。ボートが道路を移動している光景を覚えている人は少なくありません。平成7年は、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件で、波乱の時代の幕開けとなります。五反田では大崎橋の架け替え工事が始まります。新しい街に期待する人々の要望を受け、商店街では「五反田フェスティバル」を始めます。ゆうぽうと・五反田東急ストア・TOC・JRと連携をし、ゆうぽうと通りを歩行者天国にし、五反田がひとつにまとまりました。スタンプラリーやポニーの乗馬、子どもふれあい広場や屋台など、家族連れでにぎわいました。マスコットキャラクターの名前を募集し、572通から選ばれたのが「ごんた君」です。

平成12年大橋橋の架け替え工事が完了し、現在の形になりました。ゆうぽうと通りも古いアーケードを取り払い、新しい街路灯ができました。平成17年、東急池上線「五反田」駅前に「プラグマGタワー」が完成すると、西口の景観も大きく変わっていきました。五反田商店街振興組合主宰の「五反田フェスティバル」が夏の風物詩として定着します。「五反田映画祭」を立正大学石橋湛山記念講堂にて開催し、自然やエコロジーをテーマにしたショートムービーや写真を公募し、多くの作品が集まりました。大林宣彦監督のトークショーが、立川志らく師匠のMCで行われたりと、第7回まで続き盛り上がりを見せました。

商店街振興組合では、「にぎわい寄席」や「ごんた君の料理教室」「五反田笑店街 にぎわいライブ」「フラワーアレンジメント教室」など、様々な企画で地域の人々を楽しませました。新潟上越市吉川区大賀集落には毎年、田植えと稲刈りに行き、地元の方の協力をいただいてお米を収穫しました。地酒「五反田」や新世堂開運缶など、五反田のお土産物を企画しました。平成20年に大崎橋ふれあい広場が完成すると、クリスマスセールを開催し、「ふれあい寄席」、那珂湊産直販売や野菜の特別販売で、人があふれました。

 
 
 
(このコラムは、今後も加筆していきます。思い出話や古い写真をお持ちの方は、事務局までご連絡ください)

交通アクセス

東京都品川区西五反田1-32-2


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